姫路城の歴史まとめ!歴代城主にはあの人物も! 誰がいつ作ったの?姫路城についてのあれこれ

姫路城の始まりは今から約700年近くも前!


姫路城は、今の立派な天守閣が最初からあったわけではありません。 もともと姫山という小高い山の上に赤松則村が砦のようなものを築いたのが始まりで、1346年に赤松貞範によって建てられたのが姫路城の最初とされています。

最初のころは館のような建物だった!


黒田官兵衛(孝高)時代の姫路城

最初のころの姫路城は、今のお城のような建物ではなく、 館のようなもので、天守閣などはありませんでした。 (天守閣という建造物は、1500年代ごろから作られ始めたようで、全国的に広まったのは、信長の安土城以降と考えられているようです)

太っ腹!姫路城をあげちゃった?


羽柴秀吉が建てた3層の姫路城(模型)

その後、黒田孝高:くろだよしたか(官兵衛)が城主のころ、織田信長軍の中国攻めのために、姫路城が重要な要の城になると考えた官兵衛は、なんと秀吉に姫路城を譲ってしまいます。 そして秀吉は、館のようだった姫路城をあらたに造り直し3層の城を築城しました。(1580年)

延べ5千万人で作った?


それから約20年後の1600年の関ヶ原の戦いの後、池田輝政が城主になり、9年の歳月をかけて 秀吉が築城した3層の姫路城を現在の5層7階の城に大改築しました。 築城に携わった人員は延べ4千万人から5千万人ともいわれています。

姫路城の城主はたびたび替わってる!


歴代城主の家紋

さらに17年後、池田家に代わり、本多忠政が城主となります。忠政の嫡男・本多忠刻と結婚した千姫が徳川家康の孫娘ということもあり、化粧料のために10万石が与えられ、西の丸に御殿などを増築しました。 その後、松平家、榊原家、松平家、本多家、榊原家、松平家、酒井家と城主が幾度と変わることになります。

以下城主一覧  
城主 かな城主になった年
★赤松則村のりむら1333年 元弘3年
★赤松貞範さだのり1346年 正平1年
小寺頼季よりすえ1349年 正平4年
小寺景治かげはる1352年 正平7年
小寺景重かげしげ1358年 延文3年
小寺職治もとはる1403年 応永10年
山名持豊もちとよ1441年 嘉吉1年
赤松政則まさのり1467年 応仁1年
小寺豊職とよもと1469年 文明1年
小寺政隆まさたか1491年 延徳3年
小寺則職のりもと1519年 永正16年
八代道慶まさもと1531年 享禄4年
黒田重隆しげたか1545年 天文14年
黒田職隆もとたか1564年 永禄7年
★黒田孝高よしたか1567年 永禄10年
★羽柴秀吉ひでよし1578年 天正6年
羽柴秀長ひでなが1583年 天正11年
木下家定いえさだ1585年 天正13年
★池田輝政てるまさ1600年 慶長5年
池田利隆としたか1613年 慶長18年
池田光政みつまさ1616年 元和2年
本多忠政ただまさ1617年 元和3年
本多政朝まさとも1631年 寛永8年
本多政勝まさかつ1638年 寛永15年
松平忠明ただあき1639年 寛永16年
松平忠弘ただひろ1644年 正保1年
松平直基なおもと1648年 慶安1年
松平直矩なおのり1648年 慶安1年
榊原忠次ただつぐ1649年 慶安2年
榊原政房まさふさ1665年 寛文5年
松平直矩なおのり1667年 寛文7年
本多忠国ただくに1682年 天和2年
本多忠孝ただたか1704年 宝永1年
榊原政邦まさくに1704年 宝永1年
榊原政祐まさすけ1726年 享保11年
榊原政岑まさみね1732年 享保17年
榊原政永まさなが1741年 寛保1年
松平明矩あきのり1741年 寛保1年
松平朝矩とものり1748年 寛延1年
酒井忠恭ただずみ1749年 寛延2年
酒井忠以ただざね1772年 安永1年
酒井忠道ただひろ1790年 寛政2年
酒井忠実ただみつ1814年 文化11年
酒井忠学ただのり1835年 天保6年
酒井忠宝ただとみ1844年 弘化1年
酒井忠顕ただてる1853年 嘉永6年
酒井忠績ただしげ1860年 万延1年
酒井忠惇ただとう1867年 慶応3年
酒井忠邦ただくに1868年 明治1年