世界遺産を見よう!!
世界文化遺産姫路城



姫路城について
城の歴史
千姫の生涯
姫路城の国宝
歴代城主と家紋
姫路城十景
姫路城に関する数字

姫路城に残る物語
宮本武蔵と妖怪退治
播州皿屋敷お菊井戸
近松門左衛門・井原西鶴と
「お夏・清十郎」

城の傾きと棟梁の死
城を守った中村大佐

戦と美。巧みな建築
姫路城を支える心柱
秀吉三層城の名残
狭間
三国濠
千鳥破風・唐破風
籠城の為に

その他
男山・天満宮
千姫の小径

近隣施設観光名所
好古園
書写山円教寺
セントラルパーク



姫路城へのアクセス
宿泊・施設
観光案内
姫路の特産物
姫路城の年間行事
ガイドブック







天気予報
乗り換え案内
時刻表
ホテル・宿泊
道路情報
レンタカー
航空予約
空席情報
船・フェリー
高速バス




オススメショッピングサイト:

シルバーアクセサリー2PIECES

ステンレスアクセサリーStarRing

カフス専門店 Cufflinks

Copyright (c) tabian All reserved.



城の歴史

 現在の姫路城は慶長6年(1601年)から8年の歳月をかけ池田輝政が建てたものですが、一番最初に姫路城を建てたのは赤松則村の二男、貞範(さだのり)です。当時播磨国上郡で勢力を誇っていた父則村は、鎌倉幕府を倒そうとする後醍醐天皇に加勢し、千二百騎の兵を現在姫路城のある姫山に集結させ、京都に向かい大きく貢献しました。そしてその13年後の1346年に父の意向を受け二男の貞範が姫山に山城を築きました。これが姫路城の始まりとされています。
しかし、その後、羽柴秀吉が三層の城を築くまではほとんど大きな動きはなく、姫路城は小さな山城でしかありませんでした。

 秀吉は信長の天下統一のため、中国討伐の拠点として天生八年(1580年)からおよそ一年がかりで姫山の城を三層の本格的な天守閣に改築をします。しかし、それも19年後の関ヶ原の戦いにより徳川政権が始めると、家康の二女督姫を妻とする池田輝政が城主に選ばれ、また改築をすることになります。

 池田輝政が姫路城の城主になったのは、徳川政権を脅かすかもしれない西側の諸大名をけん制するためでもありました。そのため、家康は池田輝政に過大とも言えるほどの禄が与えられ、督姫との子、二男忠継に
備前国二十八万石、三男忠雄に淡路国六万石を与え、姫路の五十二万石とあわせ八十六万石、しかし実質は百万石をほこる西国大名として徳川幕府の西の要になることが求められたのです。
この要求に応えるべく、池田輝政は、のべ二千四百万人もの人員を動員し8年がかりで江戸城にも匹敵するほどの現在の天守を作り上げました。



千姫の生涯

 姫路城にまつわる人物としてすぐに名が上がるのが千姫です。
千姫は慶長二年(1597)四月十一日、二代将軍徳川秀忠とその正室との間に生まれました。
 千姫はわずか7歳で、豊臣秀吉の子、秀頼に嫁ぎます。この結婚は徳川家と豊臣家の結びつきを強めるためのもので秀吉の遺言による政略結婚であったと言われています。
やがて豊臣家と徳川家の争いが起こり、大阪夏の陣で大阪城は炎上していまいます。この時、千姫の祖父である家康の計らいで大阪城内に居た千姫は助け出されます。
 その後、江戸に帰る途中、桑名城主本多忠政の子・忠刻(ただとき)と運命的な出会いをすることになります。一度夫に先立たれた悲しみを持った千姫の気持ちを察し、忠刻に想いを知った家康は、二人の結婚を認めます。
こうして、本多家が姫路城の城主となり、千姫も姫路城の姫となりました。
やがて千姫と忠刻との間には一男一女が産まれ、二人はとても幸せな時を過ごしていました。しかし、その幸せも長くは続かなかったのです。
わずか三歳にして、長男の幸千代が病気で亡くなり、さらに忠刻も病に倒れ三十一歳という若さで亡くなりました。
夫と息子を亡くした千姫は、その後姫路を離れ、尼となり江戸で七十歳までひっそりと余生を過ごしました。


姫路城の国宝
大天守
西小天守
乾小天守
東小天守

現在国宝に指定されている城は、松本城、彦根城、犬山城と姫路城の4つのみです。

 姫路城内の国宝は、大天守(五重六階・地下一階)のみでなく、西小天守(三重三階・地下二階)、乾小天守(三重四階・地下一階)、東小天守(三重三階・地下一階)、イ・ロ・ハの渡り櫓(各二重二階・地下一階)、ニの渡り櫓(二重櫓門)の全8棟もあり、桃山時代の建築で、昭和26年6月に国宝の指定を受けました。

歴代城主と家紋

 輝政から三代続き、現在の姫路城を築城した池田家の家紋は揚羽蝶(あげはちょう・写真下中央)で、最後の城主でもあり10代120年間城主を継いだ酒井家は剣酢漿(ケンカタバミ・上中央)、その間入れ替わりを繰り返したのが本多家、松平家(二家ある)、榊原家の四家で、徳川四天王の本多家は三つ葉立葵(ミツバタツアオイ・下右)、榊原家は源氏車(ゲンジグルマ・下左)、松平家が三つ巴(ミツドモエ・上左)。

姫路城十景
城見台公園
姫路城三の丸広場

姫路城が平成5年(1993年)12月に世界遺産として登録されたことを記念して、姫路城ビューポイントを公募し、その結果姫路城が最も美しく見える10ヵ所として選ばれたのが「世界遺産姫路城十景」です。

シロトピア記念公園・ふるさとの森
1.
シロトピア記念公園・ふるさとの森
2.景福寺公園
3.名古山・霊園高台公園
4.手柄山・緑の相談所広場
5.姫路城三の丸広場
6.姫路市立美術館・前庭
7.増位山・市道白国増位線ポケットパーク
8.大手前通り・JR姫路駅前
9.城見台公園
10.男山配水池公園


姫路城に関する数字

天守の高さ
姫路城の天守は姫山(標高45.6m)の上に建っています。姫路城自体の高さは、石垣が14.85m、建物が31.5mなので合計すると海抜92mになります。
心柱の大きさ
東西に2本、高さ24.6m、根元直径95cm、末口42cm
面積
内曲輪(うちくるわ)以内の面積・・・23ha(230,000m2)。
外曲輪(そとくるわ)以内の面積・・・233ha(2,330,000m2)。
東京ドームの約50倍の面積
総重量
およそ6,200 t
天守大鯱瓦
2m
年間登城者数
平均82万人程